変わるメディアと情報収集 これからの「キュレーション」を考える

情報が溢れる現代社会。新聞や雑誌、テレビなど旧来のメディアに加え、ウェブニュースやSNSが登場し、私たちが触れる情報は膨大な量になり、さらに増え続けています。価値ある情報を見つけ出すためには、どのような力がいるのか。さまざまな角度から情報と関わってきたメディア人に聞きました。

特別対談 小川一 × 内沼晋太郎
メディアの変容と情報流通の今後

スマートフォンやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の登場で誰もがメディアを持ち、情報が爆発的に増えた現代。その情報とどう向き合えばいいのか。そして今後、情報はどうなっていくのか。ブックコーディネーターと新聞記者、それぞれの立場からメディアと関わってきた2人に聞きました。

「リアルな個人」発の情報が信頼される時代に、マスメディアに求められるもの

-ウェブメディアやソーシャルメディアが登場して、情報の流れ方はどう変わったとお考えですか?

小川一(おがわはじめ)毎日新聞社 取締役 総合メディア戦略担当 デジタル担当。1958年生まれ。京都大学卒業後、81年毎日新聞社入社。社会部長、販売局次長、コンテンツ事業本部次長、「教育と新聞」推進本部長、編集編成局長などを経て現職。

小川 スマートフォンとSNS以前と以降で、世界が大きく変わってしまいました。最近、「保育園落ちた日本死ね!!!」(※)という匿名のブログが大きな話題になりましたよね。たったひとつのブログが、テレビ、国会での首相の答弁、デモへと広がり、今や政策の最大の焦点は待機児童問題です。われわれ新聞記者も、何十年も社説や記事で問題提起をしてきましたが、これほど一気に状況が動くことはありませんでした。時代が圧倒的に変わってしまった思いです。

※「保育園落ちた日本死ね!!!」:子どもを保育園に入れられなかった母親が書いたと思われる匿名ブログ。インターネット上で注目を集め、待機児童問題に関心が集まるきっかけとなった。

内沼 情報が自らを大きく見せたがるようになってきたと思うんです。新聞やテレビしかなかった時代は、紙面の配置や番組の構成で情報の全体像をコントロールできました。今はそれができないので、情報の一つひとつに実際よりも大げさな見出しや写真がついてしまう。保育園問題がインターネットで盛り上がった大きな要因は、「日本死ね」というワードが、キャッチコピーとして優れていたからだと思います。さらにその本文が多くの人の共感を呼ぶものだったため、SNSで拡散された。時代が変わったと感じたのは、匿名のブログをテレビが取り上げたことです。それによってこの問題が国会に届いたわけで、今も最大の影響力を持っている主体はマスメディアなのだと思います。

小川 デモも大きかったと思います。ブログを読んで、実際に国会前に出てくるという社会と個人との距離の近さ、エンゲージメントがこれまでとは違う気がしますね。

内沼 読者自身も、メディアになっている。マスメディアとの違いはフォロワーや視聴者の数だけです。ですから、大きなメディアは小さなメディアが発信する情報の質を見抜く責任を持つべきで、それが信頼につながります。特定の個人や団体がインターネット上で集中的に批判を受ける、いわゆる「炎上」と呼ばれる事件が増えていますが、活発に「薪をくべて」いるのはよく見ると数人や数十人しかいなかったりすることもあるんです。その「炎上」を大きなメディアが「話題の事件」として取り上げれば、一気に問題が社会化してしまいます。

-情報の総量が増え、人々が情報に接触する場面も増えています。こういった状況は続いていくと思いますか。それとも、いつか情報は自然と淘汰(とうた)されるのでしょうか。

内沼晋太郎(うちぬましんたろう) 1980年生まれ。numabooks代表。ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。一橋大学商学部商学科卒。ビールが飲めて毎日イベントを開催する東京・下北沢「本屋B&B」共同経営者。書店のコンサルティングや選書などを手がける傍ら、読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」、街のシェアスペース「BUKATSUDO」、ウェブメディア「DOTPLACE」などのディレクションをつとめる。著書に『本の逆襲』(朝日出版社)など。今秋オープン予定の青森県八戸市「八戸ブックセンター」のアドバイザーもつとめる。

小川 増え続けると思いますが、ふたつの方向性で情報がまとまっていくと考えています。ひとつは、限られたインフルエンサーから情報を得るというパターン。たとえば「編集長おすすめのニュース」といった形でニュースが配信されるような状況です。もうひとつは、もう一度、新聞やテレビのようなパッケージ化された情報が評価されるパターンです。インターネットの中で情報はバラバラになっていましたが、個人がメディアになったことで、その中の強力な人たちと、既存のマスメディアがしてきたようなパッケージ化とが組み合わされていくと思っています。

内沼 ぼくも、情報は永遠に増えていくと思います。減る理由がないので。歴史が積み重なるにつれて情報は増えるに決まっているし、毎秒あたり作られる情報の量も、増える一方でしょう。ただ、個人の情報の処理能力は上がる。環境に適応して体が変化するような形で、人は情報に慣れると思います。それをリテラシーと言い換えてもいい。情報を取捨選択するツールも発達するはずです。もちろん、今の情報を取り巻く環境は、慣れていない人には優しくありません。でも、その浄化のようなことは、人間か人工知能か、とにかく誰かが考えるだろうと思っています。道が汚ければ、掃除したほうが気持ちいいよねということになる。そういった淘汰は起きると思います。

小川 SNSができて、記者の仕事は大きく変わりました。たとえば事件・事故。私たちは110番や119番が入ったらすぐに教えてもらえるよう、警察や消防との関係づくりに力を注いできました。でも今は通報の前に、現場写真がネットに上がる時代。それを収集しないことには仕事になりません。報道は、SNSとともに歩み、教わらないと、成り立たなくなってしまいました。

内沼 一般人が発信する情報は強くなりましたね。最近、若い人たちは、ツイッターやインスタグラム(※)をある種の検索エンジンとしてとらえているという記事を読みました。グーグル検索で上がってくる情報はすでに編集されているし、広告かもしれないから、信用できない。SNSなら、たとえば洋服のブランド名で検索すれば、一般の人たちの着こなしがわかります。リアルな個人のことを知りたいというのが、彼らのリアリティーなんです。

※インスタグラム:写真に特化したSNSサービス。若年層のユーザーから絶大な人気を博している。

小川 今でもマスメディアは力を持ち、信頼されていますが、力という点では、一般人との差は縮まってくると思います。ウェブメディアには参入障壁がありません。たったひとりの個人のメディアが、新聞社と対等になる、これは避けがたい現実です。マスメディアは、閲覧された回数で勝負するのではなく、きちんとした報道をおこない、信頼してもらうしかありません。

内沼 新聞の強みは、個人が発信した情報の先に行けることですよね。大量の情報の中から、より深く追いかける価値があるものを見つけ、コストをかけて取材するプロを抱える。そうしたビジネスの需要はずっとあるだろうと感じます。

情報が増え続け、紙がなくなっても、メディアへの本質的な需要は消えない

小川 紙メディアが優れているのは、電源がなくても読めることと、一覧性があって読みやすいことです。しかも電子書籍は、サーバー側で消せばなくなってしまうけれど、印刷物はいつまでも手元に残しておける。そういった、原理的な紙の価値は伝えていかなくてはいけません。SMAP解散騒動の最中だった1月14日、毎日新聞の運動面で、見出しをSMAPの曲名づくしにしたんです。それはSNS上でも大きな話題になり、紙面がほしいという問い合わせも多くいただきました。そういうことを続けていければ、リアルなプロダクトへのリスペクトは高まるなと、今後の可能性を感じました。

内沼 情報だけなら、本質的にはデジタルデータでもいいわけです。SMAPの見出しの新聞も、ネットに上げられた高精細の写真を見て満足する人だっているかもしれません。でも、人は三次元の世界で生きています。実物を欲してしまうのは自然な欲求と言えるでしょうね。

小川 新聞作りは、「A4版一枚の芸術」だといわれます。トップ記事は、大きくてもせいぜいA4サイズくらい。その限られたスペースの中に写真や見出し、本文などの情報を全て入れる。それは自分勝手な大吟醸酒を毎日作っているようなものでもあります。必要なもの以外はすべてそいでしまっているから、もっとうまい酒だってあるだろうと。でも、これからの時代、捨てたものを再構成して別の文脈に置き換えることができる。記事にならなかった素材から、新たに価値のある情報を発信していくのも、今後のわれわれの仕事だと考えています。

内沼 かつて紙メディアの価値は、早く正確に情報伝達ができるところにありました。今ではその長所はデジタルに取って代わられてしまいましたが、紙であることが本や新聞の本質ではありません。本や新聞の本質とは、一次情報をベースによく編集されたパッケージメディアであることだと思います。需要の変化の中で、印刷や流通のシステムが崩れ、書店販売や新聞配達が続けられなくなるかもしれません。でも、それと本や新聞の未来とは、あまり関係がない。一次情報を取材して、編集し、人に届けるという、本や新聞の本質的な価値が不要になることはないし、何らかの形で残り続けると思います。

この記事は2016年5月に毎日新聞のサイトに掲載したものを再録しております。
内容、経歴などは掲載当時の情報となります。